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IDAの歴史

世界銀行の名称で知られている国際復興開発銀行(IBRD)は、欧州各国が第二次世界大戦後の惨状から復興するのを支援するため、1944年に設立されました。欧州の復興に大きく貢献したことにより、IBRDの従来の融資で可能であった条件よりも柔軟な条件で低所得国に資金を提供する新たな機関の必要性が浮き彫りになりました。

世界銀行の名称で知られている国際復興開発銀行(IBRD)は、欧州各国が第二次世界大戦後の惨状から復興するのを支援するため、1944年に設立されました。欧州の復興に大きく貢献した世界銀行は、その後の数年うちに、活動の焦点を途上国に転じました。1950年代までに、最も貧しい途上国が成長に必要な資本を借り入れることができるよう、世界銀行が提示できるよりもさらに緩やかな条件の必要性が明らかになりました。

1949年、国連の報告書において、国連の支援の下で国連経済開発局(UNEDA)として新たな国際機関の設立が提案されました。1950年代に、米国政府は、多国間ドナーの支援の下で貧困国に譲許的条件で融資を行うプログラムの設置を支持しました。様々な協議の結果、ユージン・ブラック総裁率いる世界銀行において、途上国に「緩やかな条件で融資」を行う「国際開発協会(IDA)」を設立するというアイデアが浮上しました。

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IDAの歴史については、世界銀行グループ・アーカイブが作成したタイムラインをご覧ください。 87の出来事と500点近い記録文書や情報源を通じて、IDAの起源、資金や知識の提供においてIDAが果たしてきた重要な役割、最貧国の経済・社会の発展を支援するためにIDAが用いた革新的な方法を概観できます。)
 

モンロニー決議

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IDA設立の構想は世界銀行内部で大きく加速し、外部では、世界銀行を援助の実施機関として、途上国に緩やかな条件で融資を行いたいと考えていたマイク・モンロニー上院議員(オクラホマ州選出、民主党)の支持を得ました。同議員は、上院国際金融小委員会の委員長に指名され、モンロニー決議と呼ばれることになる議案を提出しました。
 

IDA協定

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同議案が1958年に米上院を通過すると、米国は世界銀行内に開発協会を設立するという提案を支持しました。協議の後、総務会は1959年の年次総会において、IDA協定の起草を世界銀行理事会に求めるという米国の議案を承認しました。

1960年1月末までに、世界銀行はIDA協定をすべての加盟国に回覧して批准を求め、ドワイト・D・アイゼンハワー大統領率いる米国など加盟国の承認を得ました。
 

IDAの活動開始

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IDAは1960年9月24日に、15カ国(オーストラリア、カナダ、中国、ドイツ、インド、イタリア、マレーシア、ノルウェー、パキスタン、スーダン、スウェーデン、タイ、英国、米国、ベトナム)の調印を以って、資本金9億1,270万ドルで発足しました。発足から8カ月以内に、IDA加盟国は51カ国となり、スーダン、チリ、インド、ホンジュラスの4カ国に対し1億100万ドルを配分しました。1961年にホンジュラスが最初にIDAから融資を受け、900万ドルの融資が西部高速道路の62マイル(約100キロメートル)延長を含む高速道路の建設・保守に充てられました。

IDAは、現在174の加盟国を擁するまでに成長し、世界で最も貧しい75カ国に対する譲許的融資の主要な提供源になっています。これまでにIDA卒業国は合計36カ国に上り、設立以降、IDAの融資と贈与は合計4,960億ドルに達し、この3年間(2020~2022年度)の年間平均は347億ドルでした。

 更新日: 2022年12月5日